つくばバス路線ガイドの秘密を暴露する サイトの作り方・舞台裏・お金の話

「つくばバス路線ガイド」の秘密を暴露する
―十二年の知りたいことがらたち―
# 廃線不言及

バスサイトの作り方?運営者の頭の中?当サイトの舞台裏?

はじめに

「つくばバス路線ガイド」はもう古臭い。
技術的にもコンテンツ的にもだ。

なんとか低空飛行を続けているが、抜本的改善は色々な面から難しい。

いつか操縦不能に陥って墜落するくらいならその前にすぱっとやめちゃおう。それが運営者の責任だと思う。だから近い将来やめる。

では、「つくばバス路線ガイド」が閉鎖されたらどうなるか?
一年間だけ経験しているのでその時を元に予想してみる。

  • 上辺だけ真似したものができる
  • 反面教師としてきたサイトがその自らが持つ問題点を省みることもなく君臨する
  • そして不便になる

うわそれはダメだ。それでは「つくばバス路線ガイド」がたどり着いた到達点からの後退になる。足掛け12年間、試行錯誤とユーザーとのキャッチボールを繰り返しながらやってきたことが台無しだ。12年前の遅れた時代に引き戻してはいけない。

より優れたサイトやサービスが登場すれば良いのだが、せめて「つくばバス路線ガイド」の到達点はクリアしておいてほしいのだ。

そこで今までの12年間を振り返って「つくばバス路線ガイド」運営者は

  • 何をどう考え運営してきたのか
  • なぜそういうやり方をしてきたのか

こうした舞台裏を明かしていく必要がある思ったのだ。

おっさんが若い頃の武勇伝を話すのは非常にうざい。
だからなんだかうざいおっさんみたいで本当は嫌なんだが、ユーザーに受け入れられ発展してきたことは無視できない経過であり、とても貴重な成果だから嫌でも書きとめておきたい。運営者個人としても二度とできないことかもしれないし。

もし読んでみて「大したことないな」、「なんだその程度か」と思ったら、それはあなたの方が優れているということだから、もっと良いサービスを作るとか提案するなどしてあなたが世の中を便利にしていってほしい。

これは「つくばバス路線ガイド」運営者のやたら長い「辞表」と思って良い。

もくじ

開設経緯と立ち上げ

視覚的なバス案内で助けられた経験

2005年、宮崎空港から路線バスを利用しようと旅行の計画を立てていた際、時刻表は事前にwebで調べられて問題なかったが、なんともいえない不安に襲われた。バスのりばはどこにあって案内所はあるのか。屋根はあるのか。どういう車両なのか。時刻表や運賃表といったデータからは一切見えてこないためだ。

さらに検索して個人サイト「宮崎のバスに乗ろう」にたどり着いた。そこには、宮崎空港どころか県内主要バスターミナルののりば・券売所・待合所の写真や付近の商店の写真まで載っていたのだ。車両の写真と解説も利用者目線で詳しい。これにより行く前の現場を視覚的に理解できたら気分が晴れてきた。「見えない」と「見える」ではこうも違うものか。

初めてバスに乗る際にはバスが好きな者であっても漠然とした不安が付きまとう。遠方ならなおさらだ。だが、写真であっても予め「見える」ことでだいぶ不安は解消するのだ。おかけで難なく旅することができた。

では、我が茨城つくば界隈の状況はどうか。遠方の人目線で観察してみたら酷いものだった。当時、ほとんどのバス停では行先と時刻表の数字、現在地の記載のない大雑把な路線図があるだけ。関東鉄道公式サイトを見ても一般路線バスは時刻表すらない。駅前バス停では通勤者が時刻表を一所懸命手書きでメモしている光景が見られたほどだ。

「見えない」どころか基本的な情報すら欠いている。webの非公式情報を含めても初心者にわかりやすいレベルには程遠い状況を目の当たりにしてわかりやすいバス案内のニーズを肌で感じた。これは自分が立ち上げなければならないな。使命と追い風を感じてつくば界隈の「視覚的でわかりやすいバス案内サイト」を立ち上げることに決めた。

路線図は複雑すぎて理解できない

路線図は複雑怪奇

「路線図は誰にでも理解できる便利なものではない」。バスサイト企画構想の段階で身近な人からいわれた。バス趣味者なので信じがたいことだったが、ごく普通の人とはそういうものなのだと教わった。確かに路線図を片手にバスに乗っている普通の人は未だかつて見たことがないし、運営者自身も乗車中に一瞬で読解するのは難しいことを都営バスで経験している。現在でもweb検索すれば、「(地方や外国の人にとって)東京の路線図は複雑怪奇」だとか「バス路線図はわかりにくい」といった意見がたくさん見つかる。

この視点は大いに役立った。「視覚的でわかりやすいバス案内サイト」なのだから普通の人に役立つものでないといけないし、既に個人作成ながら路線図サイトが存在していたため、後発サイトとして差別化を図る必要性に迫られていた。

これが「路線を一つずつ見せる」につながった。網羅型路線図のアンチテーゼ、「単体ビュー」の始まりであり、今も続く当サイトの一貫した方法論だ。

リソースを集中させ徹底して作る

筑波大学病院入口バス停(2007年)

立ち上げにあたって最初にやったことは予算と時間の確保。局地的とはいえバスサイトは広く一般大衆と向き合うものだから片手間では許されない。短期集中型で徹底して作ることにした。軌道に乗せるまでの期限も設定した。

現地調査ではエリア内の色々なバスに乗って路線を調べ、ターミナルや走行風景の写真も撮る。営業所で紙の路線時刻表を入手する。今ならやる必要のないことも含まれるが、当時は現場に行かなければ情報がなかった。いや現場にないこともあった。ちなみに一回目の現地調査で早くも経費は1万円を超えた。

同時進行でサイト作り。とはいっても一人なので夜間や別の日に行うしかない。調査結果を元に情報を整理してサイトに載せる。見やすくレイアウトを整え、画像も作る。今まで個人ブログ・個人サイトを作ったことはあったが、それ以上に手間がかかる。

バス趣味者上がりの半分地元民

運営者《よるの》はどんな人なのか。1979年生まれ。初めて路線バスに興味を持ったのは2歳の時。この時から数えれば開設時点で既に25年以上のバス趣味者。初めて現つくば市を訪問したのは4歳の時の筑波山旅行だからつくばとはかなり長い付き合いだ。

バスはずっと身近な乗り物であり、趣味の対象だった。小学生の頃は社会科の職業調べで転向場のバス運転士に直撃したり、12歳頃には地元周辺のバス路線図を手書きで作成。わざわざ乗るために乗りに行くようなこともしていた。

つくばセンターバス停(2006年3月)

1998年に引っ越して現つくば市が徒歩圏になった。しばらくしてからつくば市のバス路線をよく利用することになり、気が付いたら谷田部どころかつくばセンターまでが生活圏。バスサイト開設時点で半分地元になっていたのだ。

運営者は視覚優位の認知特性で見たものを写真のように記憶するタイプらしい。景色も図形もそのまま画像として覚えてしまう。だから一度バス路線網を覚えさえすれば、限界はあるものの頭の中にある路線図から今いる場所に一番近い路線を引き出すことができる。路線バスと相性が良いのはどうもこの認知特性のおかげのようだ。

つくばだから成立した

当サイトはつくばだから成立した。一市だけのバスサイトはよほど大都市でも無い限り成立し得ないが、つくば市は特異な点がある。

  • 研究機関への出張客が常に多い。
  • 筑波山への観光客が常に多い。
  • 広い面積の割には鉄道駅が少なく、10-20キロ程度の広域路線が縦横に広がる。

こうした環境だからこそ日々ニーズがあり、情報提供の必要性があるのだ。

同じやり方で守谷市や取手市のバスサイトを作ったとしても上記を一つも満たさないから成立しないはずなのだ。

開設当初は観光客をメインターゲットとしていたが、蓋を開けてみれば研究所出張者の閲覧が多かった。そのため、年末年始は閑古鳥が鳴いていた。

制作スタンスと試行錯誤

とにかく現場へ行きバスに乗る

乗らないとわからない

当サイトの情報源は現場だ。持っている生半可な知識をひけらかすのではなく、必ず現地調査に基づく。バス停留所に行く、バスに乗る、何か変更点が無いかあれこれ観察する。バス会社公式サイトで発表された情報でも鵜呑みにせず、確認に行く。

特に大事だと思うのは乗車だ。外から見るだけではだめ。頻繁にバスが走っている道路でもひょっとしたら回送区間かも知れない。乗らないと実際の経路や本当に停まる停留所はわからない。実情をしっかりと中から把握する必要があるのだ。乗客の流れなど乗ることで初めて見えてくるものもある。

最低でも年に2回はエリア内を回って調査しないと鮮度が持たないと思っている。

それは時間と手間のかかることだが、多くのバスに乗ることで発見する喜びもあり、制作意欲と初心者目線の維持につながっていたと思う。日中の空いた車内で山々や田畑など移り変わる市内の景色を眺めているととても心地よく、調査とはいえ贅沢なことだなと毎回思っていた。“乗ること”こそ当サイトの原点なのだ。

のる人目線、自分こそ利用者

利用者として必要だから開設している。運営者自身こそバス利用者だ。バスサイトを作っているとバス会社の情報が足りないのを補う側面もあるからついバス会社の代理人状態に陥りがちだ。そうではない。バス会社は乗せる側。我々は乗る側。乗る側の目線を貫く。不便なものは不便と書く。一歩進んで便利な使い方の発掘。利用者同士の情報共有なのだ。

ダイヤ改正に付いていけるかが全て

当サイトを開設した頃は今より検索エンジンの性能が劣っていたので古い情報のサイトが上位表示されることがあった。もうとっくに廃止されたバス路線の時刻表を載せた個人サイトが上位表示されたりした。7-8年前で更新が止まっており、閉鎖もされないまま放置されていて、迷惑なものだった。

頻繁にあるダイヤ改正に付いて行き、更新し続けられるかがバスサイトの命。改正で更新できなかったらどんなに優れた機能を持っていても一ミリの価値もない。

更新サイクルが回らなくなりそうなら潔く閉鎖したい。放置は迷惑だからしない。バスサイトとしてせめてもの矜持。

当サイトがどこか素っ気ない理由

今までの12年間でお褒めいただくことも3回くらいあった当サイトだが、反対に「情報量が足りない」「もう少し詳しく解説してほしい」と思っている方もいると思う。

実はその通りで当サイトは細かすぎる情報や掘り下げた内容は意図的に扱わないようにしている。

理由は簡単。

  • 力尽きて持続不可能とならないようにするため(路線の基本的な情報を最新に保つことが最優先)
  • 情報過多を排する目的(わかりやすさ=簡単)
  • 結局はユーザー自身でバスに乗ってもらって発見してもらいたいため(腹八分目の情報)

当サイトが一時期閉鎖している時に登場した類似サイトには学園地区のバス停100ヶ所の写真が載っていた。一気に自転車で回って撮影したのだろうか。それにしても100ヶ所とは「芸のない者は労働力で補う」そのままの姿でありご苦労なことだ。

だが、そこまで苦労してまで必要な情報か?乗降場が上下各1ヶ所しかない単純なバス停は誰でも理解しやすく、写真がなくても困らないだろう。

どこかに変更点があったら撮り直す?最初の一度だけは若気の至りで乗り切れても二度同じことをしなければならないなら拷問に等しい。サイト放置まっしぐらだろう。

本当にすべきことは何か。
どこにリソースを割くべきかは頭を使って判断すべきだ。

マニア臭を出さない 趣味感覚が邪魔する問題

当サイトは趣味(=好きなことの追求)としてやっているわけではない。バスサイトは万人に役立つ実用的な情報であって趣味的なノリは求められていない。

だが、作業していると趣味者出身ゆえに趣味的欲求が邪魔をする。

知らぬ間に好きなことだけを追い求める趣味活動に成り下がっていないか?
一般受けしない“マニア臭”がサイトに滲み出ていないか?

作業時間が長く、一人作業なので気をつけていないといけない。

だから周りが見えていることがとても大事になってくる。

本当に万人が使えるサイトに仕上がっているのか?
バスの狭い枠内に囚われず、広くweb制作の最新状況をつかんだり、人々が何を求めているのか時代を読んで独り善がりにならないようにする。

そういう職業人的感覚が必要。プロ並みのサイトを目指す向上心で乗り切るしかない。

ただ、意欲の維持も必要。趣味の時のような内から湧き出るパワーは活かしたい。

でもそのままではダメで趣味的パワーに社会性と熱を加えて新しいパワーに変化させていく。今やっている作業は趣味より有意義なのだと自分で言い聞かせる。

慣れてくると閲覧数、言及リンクなど手応えがあればあるほど趣味より面白くなってくる。

さて、うまくいっているかどうか。
バスマニア界から長年無視され続けているので成功か?!

変更情報はやや長い期間載せておく

バスの変更点の情報はやや長い期間載せておく。経路、停留所の変更や路線そのものの改編など数年前の変更点がいつでも参照できるようにしている。

なぜなら路線バスの変更点は一般大衆に広く認知されるまで時間がかかるからだ。バスに詳しい者と普通の人では時間の経ち方が違うと思って良い。

下館・岩瀬方面廃止後、広域連携バスができるまでの間にも「下館 筑波山」「岩瀬 筑波山」での検索が結構あった。

数年前の知識で止まっている。普通の人は全ての変更情報を日常的にアップデートしているわけではないので至極当たり前ことだ。

廃止された路線に言及しない

「筑波鉄道線」や「筑波駅」という文言は一つもない。バス路線も同じで廃止された路線には触れない。

「ただの無知じゃないの?」―違う。前述した通り現つくば市とは万博前からの長い付き合いだ。

利用者向けの現在の情報だから存在しない路線や駅を書くのは意味がないし、混乱を招くからだ。

同じような理由で旧町村名(筑波、豊里、大穂、桜、谷田部、茎崎)も旧町村の範囲を示す言葉としては避けている。

地図に載ってない地名を出すのは旅行者に不親切。

アンチ路線図としての試み

スマホで見やすい路線別情報

「視覚的にわかりやすい」「路線図のアンチテーゼ(路線を一つずつ見せる)」といっても本当にこの方向性で良いのか初期は悩んだ。

周りは路線図だらけ。まだPC閲覧が主流の時代だった。網羅型路線図ではない試みとしては日本関係では新潟交通佐渡と別府の「べっぷぅ~に。」くらいしかなかったように思う。

路線ごとに停留所の順番をテキストで記述した。ユーザーにとってわかりやすくなるだけでなく、検索に引っかかるようになる。

また、Googleマップに線を引いて経路を「地図上で見える」ようにした。路線風景の写真を載せて「なんとなく路線がつかめる」ようにした。

こうしたやり方は情報サイトとして手ぬるいのではないかと一瞬思ったこともあったが、その後スマホ大普及時代に入ったら世の中の様子が変わった。

東京メトロや東急電鉄の公式サイトのように駅を順番に点と線でつないだ縦スクロールの路線別情報がスマホで見やすいとされた。

これは時代と合うようになってきたのかも知れない。点と線でつなぐデザインを取り入れてむしろ「スマホ向けに+路線を一つずつ見せる」を強化することになった。

印刷前提の路線図といった旧式の方法論に立脚していなくて良かった。もし仮に路線図サイトをやっていたとしたら2013年頃までに頭打ちになっていたはずだ。

撮影のルールは守るがモラルはない?

運営者が勝手に定義するルールなど

  • ルール:基本的に守るべきこと
  • マナー:守ったほうが社会的に良いこと
  • モラル:価値観により判断が分かれること

サイトに欠かせないバス車両やバス停などの写真だが、当サイトは当然撮影に関してルールを守る。
一方、ルールでないことは守らないことがある。(特記ない場合は日本のこと。)

乗車の記念として撮影

まず、ルールを守る点。バス関係の撮影ではバスに乗って出かける。バス停にはバス会社敷地内すなわち私有地もあり、そこは乗客としてしか立ち入ることができない。だから乗客として乗車するために立ち入り、「乗車の記念として撮影」している。いささか建前じみているが、ルールは守り、枠内で対処する。

よく自家用車で無人駅へ行き撮影する人がいるが、あれは良くないだろう。約款通りに解釈すれば駅の乗降場に立ち入るには「入場料金」が必要となる。

ショッピングセンターの店内では撮影しない。「撮影禁止」を謳っている限り、従うしかないからだ。無断撮影が発覚して入店拒否されても反論できない。

蛇足だが、公道での撮影は何ら問題ない。

次に、マナー。バスや鉄道といった路線交通機関における乗客個人の私的な撮影については長年の阿吽の呼吸がある。これを壊したくない。

特段提示されない限り撮影は全く黙認されており、口頭で許可を取る必要すらない。この素晴らしい状況は、各社のご理解と多くの先輩方の紳士的な態度によって築かれたものだ。

だが、残念ながら近年は「権利」と勘違いしたニワカファンによる迷惑行為が散見され、交通会社側も「撮影禁止」することが増えるなど厳しい対応をせざるを得なくなっている。これでは自分たちの“自由”を狭めるだけなので撮影者にはマナーを守ってもらいたい。運営者の幼少期の頃は鉄道写真家南正時の鉄道撮影指南本があったけど今の時代そういう“先生”がいない。

最後に、言いすぎかも知れないが、モラルはある意味ない。写真撮影は「風景の泥棒」だからそこにいる一般人にはあまり良い気はされない。ゼロ年代まではそうだった。美しい風景ならともかく駅舎やバス停、一般道路なんぞマニアックな被写体を撮ろうもんなら通行人の気分を害し、見えない圧力のようなものを受けたものだ。

そうした状況でも撮る。騒音や異臭を出すわけではないし、第一通行人を撮りたいのではない。こちらはユーザーに役立つ良い写真を撮りたい。遠慮していたら何も撮れない。ルールには違反していないからと勇気を出して撮影に臨んでいた。

だが、現在そんなことはない。どう見ても普通の人があれこれ撮影しているからだ。スマホで誰でもどこでも何でも撮る勢いだ。そのおかげで撮る側として気が楽になった。

技術と収益化

ドロー系ソフトが大の苦手だった

ドロー系ソフト(ベクタ画像)が大の苦手だった。当サイト開設当時の運営者のスキルはHTMLとCSSをかじっただけ。

当初からペイント系ソフト(ラスタ画像)でその場をしのいでいたが、あまりに出来が悪い。ドロー系を覚えてまともな画像に刷新せねばと囚われすぎていた。

2011年、名古屋で買った『名鉄時刻表』のバス路線図で気付かされた。それは意外にも簡素な図だったからだ。

技術や品質は高いに越したことはないが、目的はバスの情報提供。何よりも伝わること。高度な技術を使っても伝わらなければ意味がない。

どんなソフトであっても“素人臭”を出さないように工夫してやれば当面は良いのではないか。

そんな風に思ったら肩の力が抜けて逆にその後ドロー系を習得できた。

震災・原発事故をきっかけにCMS化

初期はHTMLとCSSを手入力してサイトを作っていたが、2011年の東日本大震災・福島第一原発事故をきっかけにCMS化した。更新を迅速化するためだ。

コンテンツマネジメントシステム(CMS)とは、すごく簡単に言えばブログサービスと同じく投稿画面に文字を入力して投稿ボタンを押せば自動でwebページができ上がる。サイトを一元的に管理できるシステム。

震災で激しい揺れを経験し、その後も何ヶ月かは頻繁に緊急地震速報が鳴って「また大地震か」と恐怖感に襲われ、何事も手に付かない。ライフラインの寸断も経験した中で迅速な情報提供の必要性を痛感していた。

のんびりやっていては到底間に合わない。日常作業の簡便化と更新の迅速化が必要だと判断してCMS化に取り組むことになったのだが、そちら側の人間ではなかったからハードルが高い。スキルが足りず、立ち上げまでに時間要してしまった。

当サイトがダイヤ改正で即日更新できるのはCMSのおかげなのだ。

スマホ優先化は大学生がきっかけ

2011年頃、スマートフォン(スマホ)は存在したが日本では普及率が低く、数年後伸びたとしても全体の3割くらいだろうと予測されていた。運営者自身もフィーチャーフォン(従来型携帯電話)で十分だと思っていた。

当サイトでは初期にフィーチャーフォン向け時刻表をPC向けとは別にやっていたのだが、CMS化を機に統合していた。スマホ向け表示に変換するプログラムは入れていたが、スマホの特性がよくわかってなかったから本気で取り組む気がなかった。

ただ、当時Twitterをやっていたことで偶然にも他人のモバイル生活が垣間見えてきた。ある大学生は就職活動中でスマホとフィーチャーフォンの2台持ち。ツイートの内容はたわいもないことが多かったが、それは図らずもこれからの未来を担う世代の最先端コミュニケーションを見せられていたわけだった。

その翌年にフィーチャーフォンの機種変更契約を直前で取りやめてまでiPhoneを持つことにしたのは何となくその方が良いと思ったからだ。

持ってみたら印象が変わった。これからはスマホを片手に閲覧しながら旅行だな。調べてから出かけるのではなく、旅先で調べる。リアルタイムになる。

スマホ特有の感覚がわかった時、先程の大学生の活発で迅速なコミュニケーションの背景と少しばかりでもバスを扱う当サイトに関心を持ってくれる理由がわかった気がした。

その後、日本全体が「スマホ片手に」になった。人々のコミュニケーションが変わった。普及予測が外れたのだ。

直接影響を受けたわけでないが、若い世代のおかげで新しい潮流をいち早く知ることができた。もしそうした機会がなかったら、スマホは単なる電子機器の一つとしてしか捉えられなかったかも知れない。スマホの凄さを知る機会が遅れ、当サイトのモバイルファーストが遅れていた可能性があった。

広告とお金の話 いつから収益化したか

多くのWebサービスがそうであるように最初は収益化をしておらず、考えてもいなかった。

必要性を感じてやっているだけだから、長いこと運営費は持ち出しでやってきた。お金がかかることを気にしたら何もできない。ただし、現地調査のためのバス賃にはかける反面、ソフトにはかけない。そういう経営方針でやってきた。

CMS化のため有料サーバーへ移転し、独自ドメインの運用も始めたからサーバー使用料とドメイン更新料の元を取れれば良いくらいの軽い気持ちで広告を貼り始めたのが2012年。

しかし、収益を得ても振り込まれる最低額が月8000円でそれに満たない月ばかりだったからフローが悪かった。

そこで、広告の位置などの改善をしてみた。大きなサイズを貼って、リンク広告も載せた。そうしたらサーバー使用料どころか現地調査のためのバス賃に充てられるほどの額が入ってくるようになった。

サイトは回せるが食えるわけではない

2015年頃黒字化。決して食えるわけではないが、サイト経費(現地調査、サーバー使用料、ドメイン更新料)は単体で回せるようになった。

回数券の記事は黒字化の還元(『クレジットカードでバスに乗る1つの方法 つくば関鉄編』2015年10月28日。現在非公開。)。だからカード払い(=現金化していない)なのだ。

広告はユーザーへの情報提供の一つでもあるから時間をかけてサイトに合う=ユーザーに役立つ広告が多く出るように工夫している。

バスと地域社会

バスについて地域社会の本当の声を聞く方法

地域の足(イメージ)

バス云々の前に一人の住民だ。地域の人とは少しでもバスの話をしたいと思っている。バスサイト運営者とは名乗らない。それでも自然とバスの話になる方法がある。

知人宅を訪問した場合、ここへはバスで来たと話すのだ。
そうすると大体バス絡みの会話になる。

自家用車しか乗らない人かと思ったら「飲みに行くときはバスで行く」といった話が出てきたり、少し離れたバス停から歩いてきたことを話すとその路線自体知らない様子だったり、その人とバスのリアルな関係がわかるのだ。

北部シャトル沿線の知人は沿線外の病院にバスでの行き方を尋ねたら「ない」と言われたそうだ。実際にはあったが、もしこの話が本当なら目の前のバス停すら把握できていない病院のいうことを聞いてバスで来ない人が増えてしまう。なんだか“バス離れ”の作られ方を見た気がした。

あるバス停ではおばあさんと話し込んだこともあった。
曰く「○○○(隣市の循環バス)に乗ったら山奥に連れて行かれたのよ」。
一見便利な循環バスだが思わぬ遠回りを強いられる場合があることを物語る「山奥」という言葉に乗車時の不安が込められていた。そもそもここまでバスを乗り継いでくることができるおばあさんに極端な落ち度があったわけではあるまい。その気持ちは十分に理解できた。

また、政党の地域支部に所属しているといろいろ住民の隠れたニーズが伝わってくる。
「コミュニティバスが川向こうで折り返してしまい、この集落まで来ない。」
隣市のある地域で活動中に住民からそう訴えられたと会議で聞いたりした。利用が少ないとして部分廃止された地域でもこうした声があったのだ。

利用者の本当の声、声なき声に耳を傾けないとバスと地域社会の本当の関係はわからない。

運営者の裏側

なぜ匿名、顔出しNGか

この人達は別人

運営者は実名を出さず、顔がわかることを避けている。リアルで「つくばバス路線ガイド」の運営者だとは名乗らないようにしている。

  • 乗客として溶け込むため
  • 取材者だとわかるとそれ用の対応をされてしまい本当が見えにくくなるため
  • ラフな友人感覚を持ち込ませないため(冷やかし訪問の排除)

ただ長いことwebで「よるの」と名乗っていると親が勝手に付けた名前よりも自分らしいなと思う。

反響と成果

どのようなメールが来るか

メールでお便りいただくのは12年で5件くらい。ご意見・ご感想・お褒めの言葉など。稀に行き方のご質問。

嫌がらせの類は1件もない。

忘れ物については1件あったが、バス会社に尋ねるよう返信した。

お便りは全て返信している。

成果

「つくばバス路線ガイド」12年の一つの成果。局地的な情報ながら多くの方にご利用いただき、「一般路線バス情報には需要がある」ことを証明できたこと。

地元バス業界にも一定の影響を与えることができたと自負している。「どうせ地元の人しか使わないし」という意識が長い間バス会社側にあったように思う。

今後のあり方

バス情報サイトは今後どうあるべきか

技術的には標準化された時刻などのデータを組み込みつつ地域や目的に合わせてコンテンツを提供するサイトやアプリ(例:観光向けバス案内、登山バス案内、大学バス案内)。「えりたんbot」に標準化された時刻表データが使われているような感じをイメージしてもらうとわかりやすい。

もしスキルがあったら「こんどの便まであと00分」といったカウントダウンは今すぐにでも組み込みたいと思っている。バス路線を軸に広がるコミュニティサイト的なものはやってみたい。

共通のデータと生身の人間による情報が組み合わされればいろいろな味付けの交通サイト・アプリの可能性が広がって面白いと思う。

それらとは別にのりかえ検索サイトにはバス完全網羅を期待したい。

日本のバス情報に関しては素人個人が引っ張って来た過去があるけれども当サイト運営者も含めて個人サイトレベルの人は時代を読み取り自分自身が変わらなければたちまち取り残される。

おわりに スケールは小さいが…

見返してみると何書いているのだろう。いろいろな試行錯誤があったけど、それを書いても誰かの役には立たないのではないか。正直自信が持てない。

スケールの大きい舞台で活躍している若手の話を見聞きすると、「自分はなんて小さいことをやっているのだ」と情けなく感じる瞬間もある。

全国レベルや世界レベルで活躍できる大物はそれはそれで素晴らしい。

だが、同時に地域社会というか身の回りの暮らしを少しでも良くすることもまたこれはこれで大事な気がするのだ。

ローカルバスという存在は日本全国レベルの議論では後回しにされがちだが、我々つくば界隈の者にとっては“目の前にある公共交通機関”。

でも情報も少なく、鉄道と比べて一段落ちる存在のまま置き去りにされていたわけだ。

不便だと感じてバスを離脱する人がいるならば、「不便さ」を変える人がいても良い。

トータルでの改善は無理でもせめて緩和くらいできる。スケールは小さいが少しは役に立つ。

天才でない人が一人前の物を作るには「一つ一つ丁寧に取り組む」しかない。

奇しくも大舞台で活躍する若手が自分の仕事姿勢について同じことを言っていた。

「つくばバス路線ガイド」はこれから先の時代にはもうお呼びではないかも知れないが、一人間としてはいつまでもそういう姿勢でありたい。

だから運営者自身にとって当サイトをやってきて得たことは人生の無駄ではなかった。と思いたい。

2019年1月
日本にて

※訂正:第一節の「2006年」は2005年に訂正します

十二年の知りたいことがらたち